チャットだから話せることがある

私たちはなかなかうまく口に出せない「想い」というものを抱えながら生きています。「想い」は私たちを動かす原動力でもありますし、また心を病む原因にもなりうるものです。「人」である以上「心」を捨てるわけにはいかず、人だから他人のことや周囲の環境に対してナーバスになったりするものです。

それらの「行き場のない気持ち」とうまく折り合いをつけながら暮らしていく必要があるのが私たちです。私たちは常に考え、行動しています。ずっとじっとしていれば生きていけるという世の中ではないので、社会的に与えられた責任を粛々とこなしていかなければいけません。それでも、私たちの心は時には折れ、時には救いを求めるものです。それが誰であろうと、自分の境遇や悩みを聞いてもらいたい時があるのです。

ですが、その悩みがごく身近な環境に起因するものであった場合、なかなか打ち明けられる人が見つからないということもあるでしょう。日頃接する人にはどうしても何も言えないということは結構多いのです。そのような場合に考えるのは「誰か、今の生活とは関係のない人」はいないか、ということでしょう。ただ聞くだけでいい、自分のことを何でも聞いてくれるような人がいれば、少しはこの辛い想いも和らぐのに、ということです。

そのような人は何もないところから湧いて現れるものではありません。実際に会うことはなくても、顔も姿も知らなくても、ただ自分の話しを聞いてくれるだけの存在、なんともワガママなのですが、私たちに心がある以上、そのようなことを求めずにはいられないときもあるのです。どこか遠いところに住んでいるような人と「文通」をしてみたらどうだろう、今でいえば「メル友」になってみたらどうだろうとも考えるかもしれませんが、そのように継続的な関係をどこか頭の中では拒んでしまいます。ワガママな私たちは「その時だけ」話しを聞いてくれる人をもとめたりするのです。

そのようなワガママな私たちに最適なコミュニケーションが「チャット」でもあります。チャットであればまさに「そのときだけ」の関係が作れますし、文字を使って文章で整理するため気持ちも整理しながら吐き出せるのです。見ず知らずの人にあまり自分のプライベートな情報や個人が特定できてしまうような情報を知られてしまうのはよくありません。ですが、それらの情報を伏せたままでも十分自分の悩みや想いなどを打ち明けることはできるのではないでしょうか。みんな人それぞれの生活を送っているものですが、どこか「共感」できるような境遇というものはあるものです。同じような悩みを抱える人が、どこかにいるはずなのです。自分だけが特殊ではないということが、インターネットを通じてわかるだけでも、かなりの「救い」になるのではないでしょうか。

もちろん、インターネットですから悩みを打ち明けている相手がどのような人かはわかりません。面白半分で聞いているのかもしれません。あなたの悩みなど全然理解できない人なのかもしれません。それでも、どこかに必ずあなたの悩みを親身になって聞いてくれる人がどこかにいるはずなのです。チャットだから話せることがある。チャットだから救われることがあるのです。

 

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